2010年9月1日水曜日

劣等感は資産

私自身のことにふれてみる。
昭和の20世紀少年といったところである。

私は父は公務員、母は小さな文具店の店主という家の次男坊として生まれた。海まで歩いて1・2分ほどの漁師町である。幼い頃から病弱で両親には常に迷惑をかけていた。

他人の前では、言葉が出なかった。いわゆるどもり・吃音(きつおん)である。

劣等感が極限にくるとどもりになる。

小学校に入学しても体は学年で一番小さく、学校も休みがちだった。とにかく学校給食を食べていたのだが給食を食べると決まって吐き戻すか下痢をするかで、私だけ特別の弁当を母が作ってくれた。

体育の授業はとてもみんなについていけず、勉強はというと、これも最低のレベルだった。


各教科の成績はすべて最低で、体育は200mのトラックを一周するのにどういう訳か、必ず2回ころんだ。何回走っても2回ころぶのだ。

かけっこは常にビリで運動会がくると決まって嘔吐した。しかしながら図工だけはどういうわけか常に最高の成績だった。成績表に1が並んでも図工だけは5だった。

自分の能力が他人よりかなり劣っていると気づき始めたのは小学校4年生の頃だった。

父は帝大出のエリートで年の離れた兄は一流の科学者になった。「何で僕だけが・・・」

という思いがあった。

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